2022-01-17

阪神淡路大震災と桃の滴

桃の滴 特別純米酒 
松本酒造株式会社 (matsumotoshuzo.com)

京都の旧友が京都伏見は松本酒造さんの『桃の滴』をお土産に持ってきてくれました。

いまを遡ること27年前、京都のとある呉服問屋さんでの3年間の修行を締めくくり、家業を継ぐべく横浜に戻る年でした。そして27年前の今日、1/17に阪神淡路大震災は起こりました。

修行最後の年度は生活協同組合コープこうべさんの担当をさせていただいておりましたので、地震翌日、上司や先輩方と一緒に救援物資を担いで本部のある住吉駅を目指しました。西宮北口からは、倒壊した家々やでたらめに湾曲して地割れを起こした道など地獄絵図を横目にしながら黙々と歩いて住吉を目指しました。

通れる道を選びながらなんとか住吉の本部に辿り着くと、立派だったビルの低層階はぐしゃりと潰れ、黒々とした煙が立ち昇り燃え上がっている最中でした。呆然。その光景があまりにも衝撃的過ぎて、救援物資をどこに届けたのか自分がどうやって京都まで帰ったのかあまり記憶に残っていません。

疲れからか翌日は高熱を発して寝込んでしまいました。兵庫方面の友人を含めて被災した方はもっと苦労なさっていたのに、なんとも弱い自分が情けなかった。しょんぼりと独り暮らしの散らかった部屋で横になっていると、仕事帰りに仲良くしていた同期の女の子がプリンやゼリーを持って見舞いにきてくれました。

あの頃、ふたりは若かった

その女の子は数年後、私の妻になってくれました。あの地震が無ければ、違った人生になっていたかもしれません。

遠距離恋愛なんて上手くいかない。土壇場になって親父には無理を言って修行を1年だけ延長させてもらった。職安通いをしてなんとか新しい勤め先を見つけた。出町柳の日が当たらないけれどとにかく家賃の安いアパートに引っ越した。引っ越し費用は横浜の姉貴に頭を下げた。

1年限定で雇ってくれた婦人服屋さんにも感謝しかない。若い女の子相手の接客に四苦八苦していたのに、ちゃんと家賃を払って暮らせるくらいのお給料を下さった。そして給料日には彼女と一緒に、新しい勤め先裏手の安いけど美味しいお寿司屋さんに行くのが恒例になった。

寿司には日本酒だろ って背伸びしてそのお店でいつも飲んでたお酒が、今回京都の旧友が持ってきてくれた『桃の滴』でした。(前置きが長すぎ)

あの時から変わらないレッテルを見ただけで涙が出そうでしたが、開栓してふたりでしみじみと飲むと美味しくて美味しくて、懐かしくて嬉しくてちょっと涙ぐんでしまった。あの頃、日本酒が苦手だった私でもスイスイ飲めたのは、やっぱり桃の滴が美味しかったからだったんだなぁ。

思い出せなかったお寿司屋さんの屋号、ハワイでもお世話になった方にズバリと教えていただき、食べログで面影ある店構えの写真を見て、また涙が。いつかまた妻とふたりで食べに行こう。とみ寿司さんだよ、備忘録で自分宛に書いておこう。

京都の旧友さん、ありがとう。とっても美味しかったし嬉しかったよ。でももうお土産に持ってこなくていいよ、今度は伏見でみんなで飲みたいし。




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